一般社団法人 災害支援機構 RCA
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ごあいさつ

日本のために
名誉総裁 佐々淳行 元安全保障室長

 この度、一般社団法人災害支援機構が設立されました。東日本大震災の際、民間ヘリコプターを使って被災地を支援し続けたメンバーが中心となり、その活動から得た多くのノウハウを活かし、課題を克服して、これからの「もしも」に備える為の組織です。

 阪神・淡路大震災の際には日本中から多くの民間ヘリが支援の為に関西に向かったのですが、被災地での着陸許可は下りずに八尾空港までしかいけない機体が多数でした。 東日本大震災では、当機構の西守騎世将代表理事が国土交通省で粘り強く交渉を続け、民間機による大災害支援のさきがけとなったのです。

 しかし、もしこの着陸許可がもっと早く下りていたら、彼らの支援物資により暖をとり、空腹を満たす事のできた被災者がいたはずです。また「どこで誰が何を欲しがっているのか」の情報が具体的にわかれば、より必要とされる支援をできたはずです。 そして今後それらを可能にするのは、情報を一元化し、必要な時に官庁との連携がスムーズにとれる体制づくりにほかなりません。
東日本大震災では西守代表理事の熱意が国交省における官僚主義の壁をひとつ破りましたが、これをきっかけとして、今後同様の事態が起きたときにより早く許可が下りる仕組みが恒常化されなくてはなりません。

 一方、国もこのような機動力を持った組織を積極的に活用する事で、効果的な災害支援の体制を作っていかなくてはなりません。日本には現在、自家用を含む民間のヘリが566機登録されています。(鳳文書林出版『日本航空機全集2012年度版』による。)東日本大震災でも大活躍をした自衛隊、消防、警察、海上保安庁に加え、これらの民間ヘリを一元的に活用していく為に、私は自分の経験から得た危機管理のノウハウを惜しみなく与えて行きたいと思います。
 そしてこの災害支援機構が、上記のような官と民のパイプを次々につないでいく組織になる事を期待しています。すでに東日本大震災での実績が認められ、JAXA(宇宙航空研究開発機構)との間で大災害時における衛星通信機材運搬の要請も請けております。単なるNPOとしての草の根支援にとどまらず、国の災害時になくてはならない団体として発展していく事を目指したいと思います。

 皆様からのご支援、ご協力を、どうぞよろしくお願い申し上げます。

名誉総裁 佐々淳行 元内閣安全保障室長

名誉総裁 佐々淳行 略歴

略歴

初代内閣安全保障室長
1930年(昭和5年)12月11日生まれ
東大法学部卒業後、国家地方警察本部(現警察庁)入庁

入庁後、東大安田講堂事件、よど号ハイジャック事件、あさま山荘事件、ひめゆりの塔事件など数多くの学生運動や新左翼のテロに対する
警備実施を指揮した。

警視庁外事課長代理、大阪府警察外事課長、外務省在香港総領事館領事、警視庁公安部外事第一課長、同警備部警備第一課長
同警務部参事官兼人事第一課長などを経て、警察庁警務局監察官兼警備局付、警備局調査課長、同外事課長、同警備課長、
三重県警察本部長、警察庁刑事局参事官を歴任。 その後防衛省に出向。
防衛省では、同長官官房長などを経て、防衛施設庁長官に就任。

1986年(昭和61年)第3次中曽根内閣で初代の内閣官房内閣安全保障室長(兼総理府安全保障室長)に就任
中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑の3人の内閣総理大臣に仕え、1989年(平成元年)2月に行われた昭和天皇大喪の礼の事務取仕切りを
最後に退官。

退官後は個人事務所を開設し、各種講演や企業・団体へのアドバイスの他、著書、評論、教育、NGO運営など幅広く活動。
2012年、一般社団法人 災害支援機構 ・名誉総裁に就任。

治安・防衛・外交に関わる重大事件が発生した際には、コメンテーターとしてテレビ出演
「サンデープロジェクト」「朝まで生テレビ」「ズームイン!!SUPER」など

現在は、組織における危機管理の専門家として執筆、講演活動を行っている。
テレビにコメンテーターとして出演することも多い。
インターネットテレビ「超人大陸」のコーナー「佐々淳行のガツンと一喝」には月2回のペースで出演中。

主な著書多数 → 佐々淳行の著書

※メディア関係者の方へ
佐々総裁への取材申し込は、当機構の活動に関する件以外はお断りさせて頂いております。予めご了承ください。


佐々淳行をもっと知りたい方は「佐々淳行ホームページ」へ

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