

活動日時 | : | 2011.03.19~ |
活動場所 |
: | 静岡県 駿河湾 |
活動内容 | : | 悪天候にもめげず、一路被災地・東北へ向かう |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 松島 |
活動内容 | : | 海上保安庁の船も津波で座礁 |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 仙台港 |
活動内容 | : | 港ではコンテナが散乱 |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 女川地区 |
活動内容 | : | 街は完全に壊滅し、甚大な被害 |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 給分浜地区 |
活動内容 | : | 偵察飛行をする度に被害の大きさが浮き彫りに |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 給分浜地区 |
活動内容 | : | 「HELP」の文字が事の大きさを物語る |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 仙台港周辺 |
活動内容 | : | 陸に打ち上げられた大型船 |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 仙台空港 |
活動内容 | : | 閉鎖された仙台空港 自衛隊と米軍によって、瓦礫はすでに撤去されていた |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 村田町 菅生サーキット |
活動内容 | : | メンバーの協力で「菅生サーキット」を借りることができ、ここを活動拠点に物資輸送開始 |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 村田町 菅生サーキット |
活動内容 | : | 全国からたくさんの支援物資が続々と到着 運送業を営む支援メンバーのトラックが大活躍 |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 村田町 菅生サーキット |
活動内容 | : | 水、食料、衣類、薬品類が全国の皆さんの厚意でかなり集まった しかし、行政と民間バラバラの支援活動が続く |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 村田町 菅生サーキット |
活動内容 | : | ヘリコプターに効率よく物資を積み込む 小型ヘリコプターでも1回に200kgの物資を運ぶことができる |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 給分浜地区 |
活動内容 | : | 一度に2~3機で各避難所に物資を空輸 |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 松島基地周辺 |
活動内容 | : | 自衛隊機など、たくさんの航空機が飛行し空域が混雑しているため、常に周囲を見張りながらの飛行 |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 網地島 |
活動内容 | : | 通信網も遮断され、島は完全に孤立していた |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 大島地区 |
活動内容 | : | 津波発生時刻で時計は止まったまま |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 大島地区 |
活動内容 | : | 高台の公園にすら、船が打ち上げられていた |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 岩手県 北上市 |
活動内容 | : | 各地でメディアの取材を多く受ける 官民一致の支援活動と、日本全国からの協力を、メディアを通じて訴え続けた |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 柴田郡 民宿菅生 |
活動内容 | : | 宿舎では毎晩、翌日の支援活動のブリーフィング カナダからの支援団体「Global Medic」も一緒に活動に参加 |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 東松島市 宮戸地区 |
活動内容 | : | まだ水が十分に行き届かない避難所に、雨水でも飲料水に変えることができる高性能浄水器を設置 |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 東松島市 宮戸地区 |
活動内容 | : | こんな小さなユニットでも、1日400人分の飲み水を作ることができる |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 東松島市 宮戸地区 |
活動内容 | : | これだけの被害に遭いながらも、この地区では日頃から津波避難訓練を行っていたため、奇跡的に死者はゼロであった 危機管理の重要性を見事に物語っている |

活動日時 | : | 2011.03 |
活動場所 |
: | 宮城県 気仙沼地区 |
活動内容 | : | 行政からの情報が入らないため、常に自分達で物資を必要とする避難所を探し回る毎日 この時の教訓を次に活かさないといけない |

活動日時 | : | 2011.04 |
活動場所 |
: | 宮城県 村田町 菅生サーキット |
活動内容 | : | 被災地はガソリンも無く、車も使えないため、移動手段として自転車が支援者から送られる ヘリでは運べないため、地上部隊がトラックで輸送 |

活動日時 | : | 2011.04 |
活動場所 |
: | 宮城県 村田町 菅生サーキット |
活動内容 | : | 福島第一原発の放射能漏れによる被ばくのリスクがあったため、線量計で確認しながらの作業であった |

活動日時 | : | 2011.04 |
活動場所 |
: | 宮城県 網地島 |
活動内容 | : | 被災地の皆さんは意外なほど明るく、むしろこちらが元気と勇気をもらうほどだった |

活動日時 | : | 2011.04 |
活動場所 |
: | 宮城県 村田町 菅生サーキット |
活動内容 | : | 参加メンバーも東北を応援する気持ちにあふれていた |

活動日時 | : | 2011.04 |
活動場所 |
: | 宮城県 村田町 菅生サーキット |
活動内容 | : | 時間の経過によって必要とされる物資も刻々と変化していく 網地島避難所のリーダーにヘリでベースキャンプに来てもらい、必要な物資を選んでもらう |

活動日時 | : | 2011.04 |
活動場所 |
: | 宮城県 網地島 |
活動内容 | : | 網地島避難所のリーダーに選んでもらった必要物資をいっきに運ぶ、という作戦に変更 スェーデンから協力に来たヘリと共同で輸送 トン単位での輸送が可能になった |

活動日時 | : | 2011.04 |
活動場所 |
: | 宮城県 村田町 菅生サーキット |
活動内容 | : | 「いかに効率よく支援活動を行えるか...」が課題であった |

活動日時 | : | 2011.04.07 |
活動場所 |
: | 宮城県 村田町 菅生サーキット |
活動内容 | : | 多くの人達の協力によって多くの物資を事故も無く運ぶ事ができた |